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2012年9月18日
平成24年9月院長のマンスリートーク ◆吉田秀和と「ホロヴィッツ」事件
◆吉田秀和と「ホロヴィッツ」事件
吉田秀和氏は、今年5月22日に98歳で亡くなった日本の音楽評論家、随筆家。クラシック音楽の豊富な体験や知識、洞察力で、日本の音楽評論の先導的役割を果たした人で、7月28日のNHK「クローズアップ現代“自分の考えはそこにあるか”」でも紹介された。
敗戦後の混乱期に「自分の本当にやりたいことをやって死にたい」と役人をやめて、音楽評論の道に入る。奇才グレン・グールドのバッハのゴールドベルク変奏曲の演奏は他の音楽評論家は突飛なものと評価したが、吉田秀和はこまやかな、微視的な感受性高いものとして評価した。結局、吉田秀和の言う通りに評価は変わり、奇才グレン・グ−ルドは世界的に受け入れられた。
ホロヴィッツが初来日した際の「ホロヴィッツ」骨董事件も有名であるが、1983年6月17日の朝日新聞「音楽展望」で吉田秀和は以下のように書いた。
「百聞は一見に如かず。ホロヴィッツをきいている間、私はこの言葉を何度も噛みしめられた。その味は、いつも、苦かった。
ホロヴィッツは今世紀きっての名手と称えられピアニストである。その人が79歳の誕生日まであと幾か月という時になって日本のステージに姿を現した。
私たちはこれまで、彼についていろいろ話をきいたり、批評、評論を読んだりしてきた。レコードもたくさんきいた。演奏会の実況をTVで接する機会も、これまでに二回与えられた。それでも、以上の全部を束にしても、今度実際に自分の耳と目で経験したものの重さには対抗できなかった。
重みとは何か。今のホロヴィッツには過去の伝説の主の姿は、一部しか、認められなかったという事実のそれである。私としては、彼の来日を可能にした人たちや、全演奏会を翌日一挙に放映したNHKの労を大いに多とする。しかし、この人にはもっともっと早く来てほしかった。
私は人間をものにたとえるのは、インヒューマンなので好きでない。しかし、今はほかに言いようがないので使わせて頂くが、今私たちの目の前にいるのは、骨董としてのホロヴィッツにほかならない。骨董である以上、その価値は、つきつめたところ、人の好みよるほかない。ある人は万金を投じても悔いがないかもしれないし、ある人は一顧だに値しないと思うかもしれない。それはそれでいい。
だが、残念ながら、私はもう一つつけ加えなければならない。なるほど、この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は−最も控え目にいっても−ひびが入っている。それも一つや二つのひびではない。
彼の演奏では、音楽が続かなくなった。少し進んだかと思うと、ひびの割れ目におちて、音楽がとぎれてしまう。忌憚なくいえば、この珍品は、欠けていて、完全な形を残していない。
それは特に、ピアニストが絹糸のような繊細で強靭な弱音で、陰影の濃い音の生地を織り続けようと努力している時、際立って見えてくる。それは、もう、音の出来事というより、心の中の出来事と呼ぶにふさわしい。そこにある種の感動を誘う力がないわけではない。けれども、ピアニストは、音が全く消えたわけではないことを証明するかのように、思いがけぬ力強さでバスを鳴らしたりする。それは必ずしも、いつも、前後との論理のつながりが明らかでないので、聴衆を驚かす効果に終わってしまうことが多い。個々の音の輪郭がはっきりしない場合もよくある。それは子音の発音が明確でないので、意味の通じにくい、この人の話し方を連想させずにおかぬ。(略)
今度の演奏から推測できる限り、彼の芸術は、ほとんど動物的本能といってもよいほどの異常に敏感な感性に根ざすもので、全盛期でも、彼は全く余人の真似を許さぬ演奏をしたのだろう。それはまた、彼の独特の不思議な指使いその他の技巧と不可分だった。それが、第一回のTVの時、私に強烈な印象を与えた基になったのだが、今みると、その両者の結びつきにがたがきている。もう思ったようにひけない。だが、本能は生きている。
こんなことを書くのが、遠来の老大家に対し、どんなに非礼で情け知らずの仕打ちか、私も心得てないわけではない。だが、大家に向かって、いまさら外交辞令でもあるまい。」これには、後日談があって、1986年のホロヴィッツ再来時には、先の新聞記事にも影響され一念発起して修正した彼の演奏に対して、「この人は今も比類のない鍵盤上の魔術師であると共に、この概念そのものがどんなに深く十九世紀的なものかということ、当時の名手大家の何たるかを伝える貴重な存在といわねばならない」と称賛したという。吉田秀和もすごいが、ホロヴィッツもただものではなかった。
吉田秀和氏は、実際に自分の耳と目で経験したものに対して、卓越した文章や言葉で物事を評価してきた。周囲に流されがちな大勢順応主義と過敏症をさらけ出している日本人に対して、自分で考えることの大切さを実践してきた人である。今、確固たる信念で、自分をもつという姿勢、素直に生きるということが日本人に問われている。
昨年3月の福島第一原発の「想定外」は、考える力が備わっていなかったからとし、「この国は病んでいる」とまで言い放った。手厳しいが、まさにその通りだ。惜しい人がまた、一人消えた。合掌。
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いつも、総山先生の教えを守るよう治療に当たっています。
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敗戦後の混乱期に「自分の本当にやりたいことをやって死にたい」と役人をやめて、音楽評論の道に入る。奇才グレン・グールドのバッハのゴールドベルク変奏曲の演奏は他の音楽評論家は突飛なものと評価したが、吉田秀和はこまやかな、微視的な感受性高いものとして評価した。結局、吉田秀和の言う通りに評価は変わり、奇才グレン・グ−ルドは世界的に受け入れられた。
ホロヴィッツが初来日した際の「ホロヴィッツ」骨董事件も有名であるが、1983年6月17日の朝日新聞「音楽展望」で吉田秀和は以下のように書いた。
「百聞は一見に如かず。ホロヴィッツをきいている間、私はこの言葉を何度も噛みしめられた。その味は、いつも、苦かった。
ホロヴィッツは今世紀きっての名手と称えられピアニストである。その人が79歳の誕生日まであと幾か月という時になって日本のステージに姿を現した。
私たちはこれまで、彼についていろいろ話をきいたり、批評、評論を読んだりしてきた。レコードもたくさんきいた。演奏会の実況をTVで接する機会も、これまでに二回与えられた。それでも、以上の全部を束にしても、今度実際に自分の耳と目で経験したものの重さには対抗できなかった。
重みとは何か。今のホロヴィッツには過去の伝説の主の姿は、一部しか、認められなかったという事実のそれである。私としては、彼の来日を可能にした人たちや、全演奏会を翌日一挙に放映したNHKの労を大いに多とする。しかし、この人にはもっともっと早く来てほしかった。
私は人間をものにたとえるのは、インヒューマンなので好きでない。しかし、今はほかに言いようがないので使わせて頂くが、今私たちの目の前にいるのは、骨董としてのホロヴィッツにほかならない。骨董である以上、その価値は、つきつめたところ、人の好みよるほかない。ある人は万金を投じても悔いがないかもしれないし、ある人は一顧だに値しないと思うかもしれない。それはそれでいい。
だが、残念ながら、私はもう一つつけ加えなければならない。なるほど、この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は−最も控え目にいっても−ひびが入っている。それも一つや二つのひびではない。
彼の演奏では、音楽が続かなくなった。少し進んだかと思うと、ひびの割れ目におちて、音楽がとぎれてしまう。忌憚なくいえば、この珍品は、欠けていて、完全な形を残していない。
それは特に、ピアニストが絹糸のような繊細で強靭な弱音で、陰影の濃い音の生地を織り続けようと努力している時、際立って見えてくる。それは、もう、音の出来事というより、心の中の出来事と呼ぶにふさわしい。そこにある種の感動を誘う力がないわけではない。けれども、ピアニストは、音が全く消えたわけではないことを証明するかのように、思いがけぬ力強さでバスを鳴らしたりする。それは必ずしも、いつも、前後との論理のつながりが明らかでないので、聴衆を驚かす効果に終わってしまうことが多い。個々の音の輪郭がはっきりしない場合もよくある。それは子音の発音が明確でないので、意味の通じにくい、この人の話し方を連想させずにおかぬ。(略)
今度の演奏から推測できる限り、彼の芸術は、ほとんど動物的本能といってもよいほどの異常に敏感な感性に根ざすもので、全盛期でも、彼は全く余人の真似を許さぬ演奏をしたのだろう。それはまた、彼の独特の不思議な指使いその他の技巧と不可分だった。それが、第一回のTVの時、私に強烈な印象を与えた基になったのだが、今みると、その両者の結びつきにがたがきている。もう思ったようにひけない。だが、本能は生きている。
こんなことを書くのが、遠来の老大家に対し、どんなに非礼で情け知らずの仕打ちか、私も心得てないわけではない。だが、大家に向かって、いまさら外交辞令でもあるまい。」これには、後日談があって、1986年のホロヴィッツ再来時には、先の新聞記事にも影響され一念発起して修正した彼の演奏に対して、「この人は今も比類のない鍵盤上の魔術師であると共に、この概念そのものがどんなに深く十九世紀的なものかということ、当時の名手大家の何たるかを伝える貴重な存在といわねばならない」と称賛したという。吉田秀和もすごいが、ホロヴィッツもただものではなかった。
吉田秀和氏は、実際に自分の耳と目で経験したものに対して、卓越した文章や言葉で物事を評価してきた。周囲に流されがちな大勢順応主義と過敏症をさらけ出している日本人に対して、自分で考えることの大切さを実践してきた人である。今、確固たる信念で、自分をもつという姿勢、素直に生きるということが日本人に問われている。
昨年3月の福島第一原発の「想定外」は、考える力が備わっていなかったからとし、「この国は病んでいる」とまで言い放った。手厳しいが、まさにその通りだ。惜しい人がまた、一人消えた。合掌。