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2011年4月11日
平成23年4月院長のマンスリートーク ◆東日本大震災から学ぶ
平成23年4月院長のマンスリートーク ◆東日本大震災から学ぶ
◎地震と津波の発生−3月の院長のマンスリートークをアップした3月11日の午後2時46分、牡鹿半島の東南東約130キロの海底を震源とする強い地震があり、宮城県栗原市で震度7を記録した。震源の深さは24キロ、マグニチュードは当初、日本で記録が残る中で最大規模の8.4と発表されたが、その後8.8、さらに9.0と訂正された。岩手・宮城県沖、福島県沖、茨城県沖までの南北約500キロ、東西に約200キロで3か所の断層が最大で24メートルずれたということで、1995年の阪神淡路大震災(M7.3)の約1,000倍という世界でも1900年以降4番目というエネルギーをもつ大地震となった。
地震に伴い、太平洋岸では大津波(女川町で最大18.3メートル)が発生し、各地で大きな被害がでた。死者・行方不明者は2万7千人を超え、大きな余震も続き20万弱の避難民の不安な毎日が続いている。
千年に1度といわれる地震の威力にただただ圧倒され、言葉がない。天災で、肉親、親兄弟、親戚を無くした大勢の人に対しは慰める言葉も出てこない。
◎三陸の思い出−長男が盛岡の大学に行っていたこともあり、10年ほど前に長男とともに車で盛岡から、龍泉洞をみて三陸海岸をドライブしたことがある。日本海とは違う雄大な太平洋の眺めは格別であった。陸中北部最高のビュースポット「浄土が浜」で写真を撮ったが、今でもあの美しい眺めが脳裏に焼き付いている。ドライブの途中、場所ははっきり思い出せないが、三陸津波ここまでと書かれた地点があり、すごい波が昔来たんだということで戦慄を覚えたが、今回の津波はそれをはるかに上回るものだったので、車や家そして人など、ひとたまりも無くながされたことが想像される。
今回震災にあった、田老、宮古、大槌、釜石まで南下して国道283号から東北自動車道に入り盛岡へ戻ってきたが、あの町並みが今や瓦礫と化し壊滅状態とテレビで見るたび、世の無常さを痛感させられる。
◎津波シュミレーション−今回の津波で、約1年前の3月14日に放映されたNHKスペシャルMEGAQUAKE「巨大地震」第4回TSUNAMI「襲来の悪夢」を思い出した。場所こそ違え、よく似ていたのでびっくりした。録画を見直すと、「その時」が来るなんて信じられなかったというナレーションに始まり、南海トラフによる震度6強(M8.7)、10mを超える津波被害が予想されている高知市(人口33万人)での東北大学災害防御研究センターの今村文彦教授の世界初の津波シュミレーションが影像化された。2004年12月26日に死者22万人を出したインド洋大津波のインドネシア・バンダアチェでの映像から縮流や漂流物を考慮して作られたものだが、かなりのリアリティーがあった。
 これまでの研究で、東海・東南海・南海の3つの海洋底プレートが同時に動いたことを地球の記憶が伝えていることが分かっている。天武年間(684年)、正平年間(1361年)と宝永年間(1707年-49日後に富士山が大噴火)に大きな津波が押し寄せており、最も短い周期の300年で考えると、いつ再び起きてもおかしくないらしい。
有史以来多くの命を奪ってきた津波KILLER WAVEは、「低頻度で巨大災害ということで対策が難しく備えが不十分で、忘れる事をいかにくい止めるが問題」と東北大の今村教授が締めくくり、「私たちは地震の星に生きることを宿命づけられている。巨大地震と人類の終わりのない戦いが続いていく」というコメントで番組は終了した。その時は、1年後に三陸でこのような大規模地震が現実化することなど思いもしなかったが、このような悲劇をくい止めるにはこれからも時間がかかるようだ。
◎原発のこと−東日本大震災で福島第一原発も異常事態に陥った。想定していた地震の規模はM7.3、想定津波高さが最大5.7メートル(実際は14メートル)であったため、社長は13日夜の会見で「想定を大きく超える波だった」と語ったが、「起こり得る可能性のあることは、必ずおこる」という災害や事故の命題を直視せず、経済的な効率を優先して線を引いたことを告白したような無責任な会見である。地震や津波は自然災害であるが、福島第一原発の事故は完全な人災である。
原発事故では「止める」「冷やす」「閉じ込める」が3大鉄則と言われるが、今回の地震では「止める」で終わってしまった。12日未明から外部電源がなくなったため1号機の格納容器の圧力と温度が上昇し始めた。ガス抜き開始後の約1時間後、水素爆発が起きた。14日には3号機でも大規模な水素爆発、15日には2号機で圧力抑制室が爆発と危機的な状態が続いた。炉心への海水注入で最悪の事態は避けられたが、大気中への放射性物質の放出で大気や水道水、野菜、土壌が汚染され、発電所内での作業員への被爆が増えている。
事故の深刻さは、国際原子力事故評価尺度で、チェルノブイリ原発事故に次ぐ「レベル6」という。今後長期にわたる放射線汚染の影響が心配される。
◎政府と東電の対応−大震災で菅首相の退陣はリセットされたが、相変わらず未曾有の危機管理に冷静さを欠き、トップらしからぬふるまいを繰り返した。原発事故では東電の情報に振り回され楽観論をはき続けた。原発事故翌日に米軍派遣を断ったり、自衛隊の派遣の申し出を却下するなど原子力災害初期での致命的な判断ミスが続いた。そして、阪神淡路の時よりも避難所に対する対応が大幅に遅れた。3月16日の「最悪の事態になったら東日本はつぶれる」発言が象徴だが、こんな宰相に国民は到底ついていけない。失態続きの政府の下、原発冷却に黙々と勇敢に、使命感に燃え放射線を浴びながら命懸けで戦った自衛隊の中央特殊武器防護隊や消防庁の消防隊、関連企業の人達がいたことが救いである。 東京電力は、世界第4位の電力会社で売り上げ高は5兆円を超える。未曾有の原発クライシスは官僚以上の官僚体質や現場感覚の欠如で引き起こされたと言われる。事故発生当初、海水放水をしぶり、計画停電でも失態につぐ失態を繰り返した。
 2006年の衆議院内閣委員会で、共産党の吉井英勝議員が、原発で非常用電源が失われた時にどうゆう事態になるかと質問したときに、当時の原子力安全委員長は、安全性が確保保たれていると答弁したというが、今回のことは想定外ではなく、予見される想定内だったことが分かる。
◎大震災から学ぶこと−歴史を振り返ると災難はいつの世にもあった。津波が来たら人に構わず逃げろという「てんでんこ」(てんでんばらばらの意)という言い伝えの通り、大津波の猛威に対しては逃げることしかない。
政府や東電の対応を見ると、有事の際の指揮系統がしっかりせず、それぞれの部局がバラバラで、必要な情報が上がっていないので、有効な対応が後手後手にまわっている。司令塔がしっかりした人間でないと、国民が不幸になる事象が具現化されたが、優秀な人間が先頭に来るシステム作りが急がれる。日本人は勤勉で辛抱強く、質素であるが、今後はもっと自己の主張を行動で表しても良いのではないか。
 被災地の復興のために汗をながしている人が大勢いる。時間がかかっても必ず東北は復興するだろうが、大津波を想定した街や道路づくり、避難所の設置が不可欠である。
私も火事を経験しているので、「一瞬一瞬を大切に生きる」ことの鉄則を改めて痛感させられたのが今回の大震災である。3・11で日本は変わる。
   


当院の特徴紹介
いつも、総山先生の教えを守るよう治療に当たっています。
院長は、この事業の設立時から中心的役割をにない一定の成果を出しました。
年に1回は必ず「かかりつけ歯科医」で健診することが重要と考えます。
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