−朝2時に起きて、雨の北陸道を走る。途中から雨は止み11時前に呉に着く。−
◎呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」(広島県呉市−写真①) 企画展「海底に眠る軍艦−「大和」と「武蔵」−」をやっていた。世界最大の戦艦「大和」は1937年起工され、1941年12月に竣工した。潜水調査により2016年「武蔵」が、2018年「大和」が発見され、引揚品を展示する。呉の町の歴史と太平洋戦争の戦局を再度学ぶ。
◎頼山陽史跡資料館(広島市−写真②) 脱藩騒動を起こした山陽が5年間幽閉されていた所で、幽閉中「日本外史」を執筆した。徳富蘇峰の「頼山陽先生日本外史著述宅跡」の石柱がある。被爆して一度折れ、後に修復したものである。山陽の母が58年間書き記した日記の資料的価値は高い。
◎広島平和記念資料館(広島市−写真③) 2018年全館リニューアルされてから初の訪問。1945年8月6日に投下された原爆の惨状を語りかける。原爆による①熱線 ②爆風 ③高熱火災 ④放射線 ⑤黒い雨 ⑥後障害はすさまじいものがある。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」との約束は重要。
−令和の幕開けを広島で向かえ感慨無量。−
−朝起きて広島城まで行き、朝食後山陽道を走り太宰府を目指す−
◎太宰府天満宮(太宰府市−写真④) 菅原道真公を祀るため、御本殿を道真公の墓所上に建立したもので全国天満宮の総本社。年間1,000万人が参拝する学問・至誠の神様で今回初めて参詣した。連休ということもあり人出が多い。御神橋は心身が清められる。境内で徳富蘇峰の詩碑を目にする。
◎太宰府政庁跡(太宰府市−写真⑤) 古代九州一円を統轄していた太宰府は外交・貿易などの対外交渉の窓口であった。発掘調査によると7世紀後半に掘立柱建物が建てられ、8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物が整備された。田畑と化していたが昭和30年代から再び脚光をあびている。
◎坂本八幡宮(太宰府市−写真⑥) 土地神・産土神として崇拝されている神社で応神天皇を御祭神とする。新元号の典拠は「梅花の歌三十二首序文」であり、大伴家持の父に当たる太宰帥大伴旅人が読んだ歌であるが、坂本八幡宮が大伴の旅人の邸宅跡でないかと人気が出た。2時間並んで参拝。
−参拝に時間がかかったので、急いで大分道を使い別府に向かう。道はすいていた。−
−ブラタモリで見た別府の温泉。特に、興味がそそられた血の池地獄から地獄巡り。−
◎別府の地獄めぐり(別府市−写真⑦) 朝ホテルから車で下見をして、①血の池地獄、②龍巻地獄、③海地獄、④鬼石坊主地獄、⑤かまど地獄、⑥鬼山地獄、⑦白池地獄を朝8時から1時間で回る。起源は古く天平5年の「豊後風土記」に記載があるが、熱泥の奇異なる地獄の土地が大人気を集めている。
◎天岩戸神社・天安河原宮(宮崎県高千穂町−写真⑧) 天岩戸神社は岩戸開きの神話を伝える神社で御祭神は天照皇大神。西本宮は洞窟「天岩戸」を御神体とする社。天安河原宮は天照大神が岩戸に隠れた際に八百万の神が相談した場所とされ、仰慕窟という洞窟に鳥居と社があり、ともに敬虔な気持ちで参拝。
◎高千穂神社・高千穂峡(高千穂町−写真⑨)今回一番行きたかった場所。高千穂神社は天孫降臨、神武天皇ゆかりの神社。高千穂峡は阿蘇溶岩の浸蝕によってできた渓谷で、柱状節理のそそり立つ断崖、岩をかむ激流、千古のなぞを秘めた深淵、湧く岩清水など四季をとおして雄大にして清々しい景観。満足。
◎青島神社(宮崎市−写真⑩) 彦火々出見命(山幸彦)とその妻の豊玉姫命、塩箇大神を祀る。彦火々出見命が海宮から帰りのときの住居の跡として三神を祀ったとされる。青島には200種以上の亜熱帯性植物が周囲1.5kmに生い茂り、天然記念物「鬼の洗濯板」と呼ばれる液状岩が見られる。
−宮崎市の道路の中央に生い茂るヤシは南国気分を醸し出している。−
−朝、宮崎市の平和台公園に行ってから、対面通行の高速を使い北上し宇佐を目指す。−
◎宇佐神宮(大分県宇佐市−写真⑪) 全国に4万ある八幡宮の総本宮。勅祭の大社であり歴代天皇は伊勢の神宮に継ぐ宗廟として崇敬されている。八幡大神(応神天皇)、比賣大神、神功皇后を祭神とする。571年に八幡神が初めて宇佐の地に示顕された。「神仏習合」発祥の地で、パワーをもらう。
◎福沢諭吉旧宅(中津市−写真⑫) 福沢諭吉が蘭学を学ぶために長崎に行く19歳まで過ごした家。母屋や勉強部屋の土蔵などが残る。ここは尋ねる人は少なかったが隣接する記念館にあった「西洋事情」や「文明論之概略」などの版本は圧巻。諭吉は妻錦との間に4男5女の9人の子供を残した。
◎中津城(奥平家歴史資料館−中津市−写真⑬) 築城の名手といわれた黒田如水(官兵衛)が築く。寺院や石垣がそのままの姿で残っている。横にある奥平神社は、奥平貞能・信昌・家昌公三柱を御祭神とする。奥平家は155年間中津を治めたが、第9代昌鹿、第11代昌高などは蘭学史上特筆すべき功績をあげる。
−時間がなく、国東市にある三浦梅園資料館に行けなかったのは残念。渋滞に出会う。−
−旅行の最終日。寺が多く、映画のロケ地にもなっている尾道を満喫することに。−
◎千光寺(尾道市−写真⑭⑮) 陰陽の気が調和した吉相の地・尾道にある真言宗の寺。9時過ぎ千光寺ロープウェイで大宝山(標高136.9m)山頂に上り文学の小道を伝いお参りをする。25ある石碑の1番は徳富蘇峰で25番が頼山陽。今回の旅行にまつわる石碑でびっくり。艮神社にも詣でる。
◎因島村上水軍城(尾道市) 宣教師ルイス・フロイスが「日本最大の海賊」と表現した村上海賊。因島にある水軍城を最後に訪れる。海賊というものの、船から通行料を取りながら、海の警察として瀬戸内海を行き交う船の安全を守った「海の領主」が実態であった。日本遺産に認定されている。
−今回の令和記念の歴史を巡る旅を無事終了。強行日程でややバテた。−
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